こんにちは。
アシスタントPRディレクターのKです。
先日テレビで、京都のあるお寺の取り組みの様子を見ました。
このお寺では、大学生に無償で下宿を提供しています。家賃の代わりに、住み込みの学生たちは朝の掃除やお勤めなど、
お寺の仕事を担います。コロナ禍で中断していたこの試みが今年ようやく再開され、留学生を含む4名が参加しました。
学生たちは毎朝早くに起き、境内を掃き、本堂で朝のお参りを済ませたあと、みんなそろって朝食をいただきます。
この「全員で食卓を囲む時間」は、お寺側が大切にしている時間なのだそうです。
もちろん、早起きはつらく、生活にも制約が多い。実際に、1か月後に再び取材が入ったときには、4人のうち2人しか朝の作務に現れませんでした。
「境内を掃いても、すぐにまた葉が落ちる。効率の悪い仕事です。
でも本当の豊かさは効率性の追求の先にはないのでは。」という副住職の言葉が印象的でした。
いま私たちは、タイパやコスパといった“効率”を重視する価値観に囲まれています。
その中で、成果がすぐに見えない日課を毎日繰り返すことや、決まった時間に人と食事を共にすることは、
ともすれば“ムダ”に思えるかもしれません。
けれど、非効率な作業を続ける中で自分と向き合い、人との関わりの中で時間を分かち合うことには、数字では測れない価値がある——
お寺でのこの生活は、そんなことを静かに教えてくれているように感じました。